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国立大学法人法「改正」案の問題点④:「責任のなすりつけ合い」の招来

 

 「国立大学法人法「改正」案の問題点③:衆議院での質疑をふまえて再考する」のつづきです。「ボトムアップな民主的手続きの否定」と「「稼げる大学」への変質」という2点に加えて、「責任のなすりつけあい」という問題点について説明したいと思います。

三、「責任のなすりつけ合い」の招来

 今回の改正案をめぐる重要なポイントは、国立大学の業務に重大な支障をきたしたときに誰が責任をとるのか、ということです。「国立大学法人法「改正」案の問題点②:「規制緩和」という誘惑」でも指摘したように、今回の法案の「規制緩和」措置により大学として債券を発行することが容易となります。図書購入費やトイレ改修費すらクラウドファンディングに頼らざるをえない大学にとって、債券を発行して巨額の資金を獲得できればありがたいということになります。ですが、債券はあくまでも借金です。東京大学が2020年に発行した大学債の場合、総額200億円、償還期間は40年、毎年の利回りは0.823%となっていますが、それでも毎年の利払いは1億円を越えます。もしもこの利息が支払えず、デフォルト(債務不履行)となった場合にだれが、どのように責任をとるのでしょうか。運営方針委員が身銭を切るのでしょうか? 学長以下の役員(理事、副学長)が経営責任を負うのでしょうか?

 衆議院の委員会質疑では、池田貴城(文部科学省高等教育局長)政府委員が「責任を持って国立大学法人の運営に参画をいただくよう、役員と同様の忠実義務や損害賠償責任を課すこととしております」と答弁しています(2023年11月15日衆文)。この答弁を確認するように、衆議院文部科学委員会の附帯決議でも第6項において「運営方針委員及び学長が忠実義務や損害賠償責任を負っていることの趣旨を周知すること」と記されました。

 運営方針委員に責任を負わせるつもりのようですが、これで安心することはできません。やはり衆議院の委員会質疑で、池田政府委員は運営方針委員として「国際的にリーダーシップを発揮している企業やベンチャーキャピタルあるいは非営利法人などで代表的な役割を果たしている方」などを想定していると答弁しています(2023年11月15日衆文)。学内者を絶対に排するというわけではないにしても、主に学外者を想定していることがわかります。学外者たる委員は、運営方針会議に出席している時にのみ職務権限をもつのであり、会議以外の時・場では大学の役員でも、職員でもなく、まさに学外者です。意思決定は合議体である運営方針会議として行うのであって、個々の委員が学長と同等の権限はもつわけではありません。そのような学外者に法的に損害賠償責任を負わせることができるのか、はなはだ疑問です。

 それでは、学長が責任を負うのでしょうか? これはありえるでしょうが、理不尽な仕組みともいえます。学長が文字通り独断専行でやって失敗したならば、個人として責任を負うべきです。ところが、今回の法案では、学長は運営方針会議の方針に従属する存在となります。運営方針会議は、これまで学長の権限とされていた中期目標・中期計画を決定する権限や、予算・決算を決定する権限を移譲されるからです。しかも、運営方針会議は、適切な大学運営が行われていないと判断した場合には学長に対して改善を求める権限を持ち、さらには学長の解任を発議する権限すらもちます。たとえば大学債の利払い費用を捻出できなくなった場合、「これは学長が学内の組織再編などを断行しなかったためだ」と責任をおしつける可能性が大いにあります。

 国際卓越研究大学の審議過程で、大学の最高意思決定機関として「合議体」を設置するという構想が出てきたとき、現在の国大協会長である永田恭介氏(筑波大学学長)は次のような所感を述べています。「新機関の経営方針通りに、大学が成長できるとは限らない。そんな時の責任の取り方も不明のため、新機関と学長とで責任のなすりつけ合いにならないか心配だ」(『朝日新聞』2022年1月18日付)

 ここで「新機関」とは、国際卓越研究大学における合議体を指します。国際卓越研究大学の合議体の構想と、今回の法案における運営方針会議の制度設計がまったく同じというわけではありませんが、学長よりもさらに権限の強い合議体を置くことで「責任のなすりつけ合い」が生じる可能性は大いにありえます

 一方で、永田氏は国大協会長として今回の法案について強い懸念を表明しながらも、「文科相が任命する仕組みではないので、学長らの懸念はかなり払拭できていると思う」と語っています(『朝日新聞』2023年11月24日)。運営方針委員の人選にあたって、学長にとって「気心の知れた」存在、しかも文科省の「覚えのめでたい」人物を選ぶならば、現状とそれほど大きな違いは生じないだろうという楽観がうかがわれます。ですが、経営上の莫大な損失について誰が責任をとるのかという問題に直面した場合にも、そうした関係を維持できるのでしょうか。たとえ「気心の知れた」間柄だったとしても、あるいはそれだからこそ、激しい「責任のなすりつけ合い」が生じるのではないでしょうか?

 もっとも恐ろしいのは運営方針委員も、学長も責任をとらずに研究・教育の現場にいる者たちに責任を転嫁することです。すなわち、教職員の労働条件の改悪、学生の授業料値上げなどにより損失を補填しようとする事態です。残念ながら、これがもっともありうる事態と考えざるをえません。そもそも一般の教職員や学生が運営方針にかかわる意思決定から排除される体制となっている以上、「運営方針委員及び学長が忠実義務や損害賠償責任を負っていることの趣旨を周知すること」という附帯決議が教職員・学生への責任転嫁の有効な歯止めになるとは思えません。

四、CSTIと文科省、水面下のせめぎ合い

 実は、今回の「改正」案の立案過程で、すでに「責任のなすりつけ合い」が発生しています。ただし、運営方針委員と学長のあいだではありません。CSTI(内閣府総合科学技術・イノベーション会議)と文部科学省のあいだのことです。あらためて述べるまでもなく、CSTIの議長は内閣総理大臣であり、議員の半数は内閣の閣僚ですから、CSTIの意向は岸田内閣の意向でもあるということです。

 衆議院での討議と、その後の報道から、今回の法案がCSTIの主導で作成され、文科省はその内容に疑問や反発を抱きながらもしたがっている姿が明らかとなりました。

 衆議院文教科学委員会では、立憲民主党の白石洋一議員が「大臣の答弁は、立法事実というのはCSTIから指摘されたから、こういうふうに受け止めました。そういうことでよろしいんでしょうか」と質問したのに対して、池田政府委員は「CSTIの検討を受けて、文部科学省も一緒に参画した議論を経て、今回の国立大学法人法の具体的な度設計を行う中で、このような仕組みになったものでございます」と答弁、白石議員はこれに追い打ちをかけるようにして「文科省としては、CSTIから指摘を受けたと。自分たちも参加していて、じゃ、どうしてこれが必要なんですかと詰めなかったんですか」と聞いています(2023年11月15日衆文)。質疑の矢面に立たされるのはあくまでも文科省の官僚です。ですが、その文科省の官僚もまた運営方針会議の設置に実は納得していなかったようです。

 その後の新聞報道で、この印象が誤りではなかったことが裏づけられます。『日経新聞』(2023年11月28日)の報道では、「内閣府の関係者」の言として、内閣法制局が大学ファンドという補助金事業で選ばれた大学のみを対象とする法改正に難色を示したという事実を報道した上で、現在の法案は、合議体の制度化を求めるCSTIと法制局の「待った」の間で板挟みとなった文科省が「苦肉の策」として提出したものという解釈を示しています。

 法案の内容そのものも、この報道と整合するところがあります。CSTIによる合議体の構想は、学長選考・監察会議と役員会の権限もあわせもつ最高意思決定機関のイメージでした。ところが、今回の改正案では学長選考・監察会議も役員会も残されました。そして、現在の法案では学外者中心の運営方針委員と、学内者中心の学長・役員会のあいだのバッファー(緩衝地帯)のような位置付けを与えられています

 学長選考・監察会議は学外者と学内者が半数ずつと定められていることにも象徴されるように、学外者半数、学内者半数という形式的な仕組みは、文科省として重視してきたものです。国際卓越研究大学が構想される過程でも、CSTIが合議体の過半数を学外者とすべきと主張したのに対して、文科省のワーキングチームでは半数に止めるべきだという意見が出されていました(文科省「世界と伍する研究大学の実現に向けた制度改正等のための検討会議 法制度ワーキングチーム 議事録」2021年12月17日)。

 文科省としてはおそらく学長選考・監察会議を残すことで学外者の影響力をぎりぎり半数に止めて「大学の自治」を保とうとしたということなのでしょう。まさに「苦肉の策」です。ですが、そのために学長選考・監察会議と運営方針会議の関係がわかりにくくなりました。実は2021年にも国立大学法人法は改正されており、「学長に不正行為や法令違反等がある」事態に対応するために学長選考会議を学長選考・監察会議と改組して、学長への監督機能を強めることになりました。同時に、学長自身がこの学長選考・監察会議の委員となることはできないと定めました(文科省「国立大学法人法の一部を改正する法律の概要」2021年7月19日)。

 今回の改正案では、運営方針会議に対して「適切に当該特定国立大学法人の運営が行われているかどうかについての監督を行う機関」(第二十一条の三)としての役割を認めています。学長選考・監察会議と同様に、学長の監督機関としての役割を認めているわけです。それにもかかわらず、学長自身が運営方針会議の構成員となることを認めています。これでは2021年の法改正の際の説明と矛盾することになります。加えて、学長への監督機関として、運営方針会議と学長選考会議が並び立つ状況において、両者の関係がどのようなものであるかも不分明です。

 「第212国会(臨時会)国立大学法人法の一部を改正する法律案(閣法第10号)参考資料」(参議院文教科学委員会調査室、2023年11月)では今回の法案の提出経緯を示した部分で次のような図を提示しています。

 この図を見ても、学長と学長選考・監察会議の関係や、合議体(運営方針会議)と学長・選考監察会議の関係はよくわかりません。とにかく学外者中心の合議体を設置してそこに強大な権限を持たせようとするCSTIと、従来のガバナンス(組織統治)体制との整合性をなんとか保とうとする文科省のあいだの妥協として、混乱をはらんだ制度設計がなされたとみざるをえません。

 こうした法案の問題点をふまえた上で『日刊ゲンダイ』(2023年11月28日)の伝える「文科省関係者」の言葉を読むと、そこに真実味を見出すことができます。「法案は財界と経産省の意向をくみ、官邸主導で“だまし討ち”のように進められた。大学に関する重要事項を審議する中央教育審議会に諮られることもないまま、10月31日に閣議決定され、国会に提出された。国立大学協会の会長も、閣議決定まで改正案の中身を知らなかったそうです」。

 「官邸主導で“だまし討ち”のように進められた」という「文科省関係者」の証言は衝撃的です。CSTIと文科省の対立とみえるものは、財界・経産省の意向にしたがおうとする官邸と。たぶんに形式的な意味合いではあっても、まがりなりにも「大学の自治」という原理にこだわる文科省の対立でもあることがわかります。

 この「文科省関係者」の証言を脇から支えるように、永田恭介国立大学協会会長は、国大協声明の記者会見で「閣議決定が出るまで法文を知らなかった」と語っています(『しんぶん赤旗』11月28日)。12月1日の参議院本会議で盛山文科大臣は、法案の「方向性」について国立大学協会に説明したと答弁しましたが、「方向性」は示したとしても、成案となった「法文」を示したとは語っていません。

 過去の記事「国立大学法人法「改正」案の問題点③:衆議院での質疑をふまえて再考する」で記したように、現在の国立大学の学長、その学長たちが構成する国立大学協会は、かならずしも国立大学の研究・教育の現場の声を代表するものとはいえません。永田恭介国大協会長を含めて、多くの学長は、文科省の意向を背景としてトップダウンな「改革」を押し進めることで大学の研究・教育の現場を疲弊させ、研究力を下げてきました。ですが、今回の法案は、その学長たちが構成する国大協すらもが異論を提示せざるをえない内容なわけです。

 CSTIと文科省のあいだでどのような水面下の交渉・対立があったかということは、わずかな報道で漏れ伝わる内容を別とすれば、一般の者にはわかりません。さしあたり国会質疑で矢面に立たされるのは文科大臣であり、文科省の官僚です。ですが、文科大臣も、文科官僚も自らの意志で制度設計したものではなく、官邸・CSTIから半ば押しつけられたものであるだけに、きちんとした説明をすることはできません。結果として、ほとんど誰もが理解も説明もできない制度改革が行われることになります。

 運営方針委員と学長の関係に戻るならば、学長はかならずしも自らの意に沿わない「改革」、その必要性を学内の構成員に説明できない「改革」を説明し、学内からの異論や批判の矢面に立たされることでしょう。おそらく責任の所在を曖昧にするために、運営方針会議の詳細な議事録は公開されないでしょう。そのような事態は学内における疑心暗鬼の空気を現在よりもいっそう深刻なものとして、大学から創造的な活力を奪っていくのではないでしょうか。

(つづく)









 

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